2010年4月18日日曜日

中学を卒業する僕は自らを振り返る(主に塾編)

中学受験に落ちた僕。その当時のことは結構の割合で忘れてしまっている。
しかし、ただ言えることは中一の頃でも、僕は中学受験の算数の問題は好きだった、ということである。
なんというか、ユニークなのである。
K大付属に受かりやがったmy brotherこそ、解法暗記ではあるが、当時は一個一個個別に考えていた。
正直一個一個覚えるのは小学六年生から初めた僕には荷が重すぎたようだった。
ちなみに当時僕に小六の時個別で理科を教えていた教師は東大の物理学科の学生だった。

僕はかなり受験生として扱いにくいタイプだったはずだ。
暗記をめんどくさいしつまらないと言って投げ飛ばし、
夏休みは受験勉強をせず高校の数学書を読み(今だから言えるよ……うかったからね……)
一日く時間寝るのが人間だ!!とかいって少なくとも八時間は毎日寝ていたし(昨日は久々に10時間寝ました。 幸(*^o^*)せ)、
ノートはとらないし(今でもとってません、めんどくさいじゃん。)、
さらには内申も悪い37(決して悪いものではないはずだがN志望者の赤点レベルらしい。)、
さらにさらに、確率、場合の数が嫌いで(ごやごやしてるし数えるの面倒だし・・・なによりつまらない)全然できなかったし、
しかも中学時代ほぼ不登校と来た。
そういうわけで、僕は本当に面倒な人間だったはずだ。
ああ・・・・・・。

僕が数学の面白さに気づいたのは実は中三の夏であった。
もともと、物理にはそれなりに興味があった。しかし、(これもまた中学時代の話になるが)あまりにも質問しすぎたせいで中学受験時代やはり嫌われていた(笑)友達のドバーーーーンさんの話によると、小4の時、質問しすぎて嫌われて出てけといわれて出ていって帰ってこなかった、とか・・・その後塾をやめたんだって、僕。全く覚えてないけどね。それでもしかし、「物理はなんで?」が許されていた強化だったから、僕は好きだったのだ。
それで話を戻すと物理が好きだった僕が数学の重要さに気づいたのだ。
(後でこの部分続き書きます。

中一、二の時、僕は数学の先生に完全に嫌われていた。
その先生の名前はN先生。進学塾の典型?みたいな先生で、なんかピタゴラスの定理や円周角の定理、接弦定理や・・・ていうかほぼすべての公式の証明、なぜこうなるのかを授業のテンポを大事にして説明してくれなかった。周りもみんなサバサバしてて、全然気にしていなかった。正直僕はそういうのは大嫌いだった。そしてそれはいつか、公式ばかり出す問題(=早慶の問題、別にひどく公式ばかりではないけど当時使ってた問題集がたまたまそうだった)はクズだ、と言い始め早慶の問題が嫌いになり本当にマジで最悪に扱いにくかっただろう。しかし、D先生は違った。(他にもK先生やK先生がいますが今回は数学に絞りとっています。)
いつか続く。

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